March 10, 2006

ファイブ・ミニッツ●劇団桃唄309 (中野ザ・ポケット,05.12.02)

fiveこの劇団の得意技として、ISIS(自立不可能舞台装置システム)というのがあると聞いていた。これは、劇中の舞台装置を出演者たちが人力で支えるというもので、役者たちは本来の出番以外も書き割りなどを抱えて、舞台に登場しなければならない。そのせいか、彼らは舞台の周囲に待機していて、舞台とその周辺はなんともせわしない状況になってしまうのだが、物語が進行するにしたがって、何か役者や動く舞台装置などを含めて独特の一体感のようなものが生まれてくるから不思議だ。
幕開き、冒頭から緊張の場面である。刃物を手にした男が、人質をとって遠巻きにする野次馬たちを威嚇している。男は、どうやら何かに追いつめられているらしい。やがて、物語は過去へさかのぼったり、未来へと飛んだりしながら、拡散して、再び冒頭の場面へと繋がっていく。どこにでもありそうな平凡な町に訪れた危機とは、何であったか。謎のベールがはがされていく。
タイトルの「ファイブ・ミニッツ」は、積み重ねられていくエピソードのひとつひとつのことを指すのだろう。その名の通り、その断片のひとつはわずか5分間のものだが、そこには凝縮された物語がある。さりげないエピソードと思わせておいて、実はパズルの一片として重要な手がかりであったりするから、いい意味での緊張感があるのだ。時系列を無視する展開もあるが、観ていて判りにくさはまったくなく、役者たちが物語の全体像をきっちり咀嚼しているのが判る。この劇団は初体験で、客演を含めてわたしは初めて観る役者さんが多かったが、それぞれの個性的な役作りには、随分と感心させられた。
先のISISについてさらに言えば、舞台をシンプルにするとともに、舞台装置を効果的に使い、それが役者たちの自由度を増しているような気がする。そういう面白さの中で、冒頭のシーンに始まる多彩な登場人物たちが織り成す複雑なジグソーパズルが、出来上がっていく過程を観るような物語が語られていくのだから、これは快感だ。
印象に残った役者を書きとめておくと、にうさとみ、森宮なつめ、入交恵、小林さくら、佐藤達。秋の次回作は、劇団桃唄309の中でも定評のある演目の再演らしく、大いに興味をそそられる。どうやら、贔屓の劇団がまたひとつ増えてしまったようだ。

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March 05, 2006

パズラー (2004)

d1114097821「ソウ」のイメージそのままのDVDパッケージ。さらには、この邦題。(原題は、〝FATEFUL TREASURE〟)これだけ商魂逞しく迫られて、手を出さないミステリ映画ファンはいないでしょう。監督のミヒャエル・カレンはドイツの人で、そもそもこの作品自体はTVムービーとおぼしい。
バカンスを4人の仲間たちと過ごすために、トニ(マリー・ツイールッケ)はアルプスの山中にやってきた。途中、事件があったのか、検問所で警察官から気をつけていくよう注意される。山荘についた5人の男女は、キッチンでとんでもないものを発見してしまう。そこには、3人の見知らぬ男たちの死体が横たわっていたのだ。慌てた彼らは、下山しようとするが、途中で車の事故を起こしてしまい、折からの悪天候もあって、結局山荘に釘付けにされることに。
テレビに流れるニュースから、美術館を襲った強盗犯のグループがアルプスの方面に逃げたらしいことを知り、その犯人たちが仲間割れの末に同士討ちをしたのではないかと推測する。そんな折、死体から時価500万ユーロのロシア皇帝の黄金の首飾りを発見してしまう。欲にかられて、それを頂いてしまおうというトニの弟の提案に、大きく揺れる5人組。翌朝、保険調査員を名乗る男が現れ、事態はさらに混乱するが。
キューブリックの「シャイニング」の冒頭をネガとすれば、それをポジに変えたようなイントロの風光明媚なアルプスの景色が美しく印象的だ。しかし、この映画の長所は、そこでおしまい。あとは、延々とお手軽な2時間の推理ドラマ乗りの物語が繰り広げられる。もちろん、謎もサスペンスも希薄で、あのとんがった傑作「ソウ」には及ぶべくもない。そのタイトルとパッケージ(おまけに大げさな解説文)に見事騙されました。ある意味、あっぱれ。(BOMB)

(ネタばれ)
翌朝、やってきた保険調査員は、強盗団の手先だった。やがて、調査員は、彼らを殺し、秘宝を取り戻そうとするが、隙をつかれて殺されてしまう。ちなみにサプライズ・エンディングは何もありません、念のため

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March 04, 2006

君はヲロチ●双数姉妹 (新宿THEATER/TOPS, 05.12.1)

worochi花組芝居からの客演、さらに初の時代劇ということで、果たしてどんな芝居になるのか興味半分、不安半分だった双数姉妹の新作だが、なるほど、現代劇とシンクロするドラマときたか。時代劇というと、わたしの中ではいささかコンサバなイメージがあるのだけれど、ふたつの物語をパラレルに語るこの手法だったら、この劇団の芝居として十分に成立するなぁ。
さとみ(帯金ゆかり)は、友人の真澄(大倉ヤマ)から紹介された援助交際相手のサラリーマン定岡(小林至)が余命いくばくもないものと思い込み、彼のためなら何でもしてやろうと決心した純情な女子高校生。ところが、間に入った真澄の恋人である水内(中村靖)は、定岡の金をさとみに渡さず、ネコババしていた。定岡の上司(今林久弥)から邪魔をされたりしながらも、ぎこちない交際を続けるふたり。しかし、定岡も気弱なところがあって、さとみに体の関係を迫ることができない。
一方、室町時代のとある旧家。巨万の富を誇る鈴木九郎(今林久弥)には、妻のお芳(山下禎啓:花組芝居)との間に、目に入れても痛くない一人娘のお清(近藤英輝)がいた。ところが、金とためなら人を殺めることをなんとも思わない当主の悪事がたたってか、婚期を迎えたお清の肌には蛇の鱗が生えていた。そんなお清に、使用人の佐吉(阿部宗孝)、が恋をしてしまう。ふたりは、駆け落ちしようとするが、九郎は財産の隠し場所を知る佐吉を口封じのために殺そうとする。
ふたつの話に、それほど強い結びつきは感じられないが(一応、金と恋をキーワードとしているようだ)、双方を繋ぐ役割でふたりの黒子(伊藤伸太朗、松本大卒:チャリT企画)が登場する。双数姉妹のレギュラー陣も相変わらずの達者ぶりを見せるが、今回のハイライトはなんといっても女形のふたりの熱演だろう。今回限りで退団するらしい近藤にも独特の色気が漂っていたし、花組芝居からの山下の存在感はさすがと思わせる。
ただ、それだけではいい芝居でしたね、で終わってしまうところを、前回に引き続いて北京蝶々から客演の帯金ゆかりが、爽やかな風を吹き込んでみせる。そういう意味では、チャリT企画のふたりも、饒舌な黒子として面白い存在感を出していた。彼らが持つ、いささか未熟だが、しかし新鮮なバイタリティは、いまや小劇場の芝居としてベテランの域に達してしまった双数姉妹のような劇団には、不可欠のようにも思えるが、どうか。

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February 26, 2006

マシニスト (2004)

masinisuto「マシニスト」には、やけに印象的なシーンがある。やせ細った主人公が、冷蔵庫の前だったかキッチンでダンスを踊るくだりだ。ほんの一瞬なのだが、激しく痩せた体の不気味さと奇妙な動きが印象的で、なんとも忘れがたい。主演のクリスチャン・ベールの30kg近くを減量したという、まさに身を削る役作りは、その場面だけを取り上げても大きな効果をあげているといっていいだろう。
さて物語だが、主人公トレバー(クリスチャン・ベール)は、極度の不眠症に悩む機械工である。彼は孤独を癒すために、たまに馴染みの娼婦スティービー(ジェニファー・ジェイソン・リー)と時間を過ごしたりしているが、行きつけの空港のカフェで働く女性マリア(アイタナ・サンチェス=ギヨン)にも好意を寄せている。そんな彼の身のまわりで、不可解な出来事が起こり始める。自宅の冷蔵庫には、暗号のようなものを記した憶えのないメモが貼られ、工場では見知らぬ工員アイバン(マイケル・アイアンサイド)を目撃する。仲間に尋ねても、みな口を揃えて、そんな工員は知らないという。トレバーは、次第に工場内でも孤立し、疑心暗鬼にとり憑かれた彼は、事故で仲間に片腕切断の重傷を負わせてしまう。
さらにそれに追い討ちをかけるように、マリア親子と出かけた遊園地で乗った幽霊屋敷の乗り物で不可解な出来事に見舞われ、マリアの息子に精神的なダメージを負わせてしまう。彼の行く先々に姿を現すアイバンが乗った赤い車。自分の影のようなものが、彼の存在を脅かしていくことに、トレバーは次第に精神状態の平衡を失っていく。
主演男優の減量が話題となったこともあって、個人的に連想するのはスティーヴン・キングの「痩せゆく男」なのだが、不気味な緊張感という共通項はあるにせよ、あちらは呪いをテーマにしたホラー、こちらはミステリとしての興味で観客を引っ張っていく。すなわち、男の身の回りで何故に不可解な出来事が起きるのか?そして、そもそも男はなんで不眠症(なんと365日も寝ていないと主人公は語る)に悩まされているのか?
次々と起こる不可解な出来事がどう説明されていくかが、ミステリ・ファンとしての最大の興味だが、謎とその解決の整合性という点では、やや物足りない。というのも、最後に明らかになる真相が、いささか形而上の分野に踏み込むものだからである。インディペンデント映画出身のブラッド・アンダーソン監督による謎解きのムードを漂わせた演出が、やや仇となった印象もある。
しかし、イントロとアウトロのテンポの良さには格別なものがあって、観客を退屈させない演出はなかなかのものだ。記憶というものの不可解さにチャレンジした作品としては、評価できる仕上がりだと思う。[★★★]

(ネタばれ)
トレバーは、1年間前に交通事故で子どもを轢き殺した経験があり、自らそのときの記憶を封印していた。しかし、そのときの記憶は知らず知らずのうちに回復し、その経過を記したメモをトレバー自身がメモにして、冷蔵庫に貼り付けていた。思いを寄せるマリアや、彼の周囲に出現する怪しい人物アイバンも、彼の妄想の一部だった。

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February 05, 2006

12人の優しい日本人●パルコプロデュース公演 (渋谷パルコ劇場,05.11.30)

12ミステリにおける法廷劇のパターンは、おおよそこんな感じだと思う。刑事告発を受けた被告人が登場し、冒頭、彼または彼女は決定的ともいうべき厳しい状況に立たされている。その後、裁判の中では、目撃者の証言がなされたり、新たな証拠が見つかったりするものの、被告人の容疑は深まるばかり。そして判決を目前に控え、絶体絶命と思われたその時、晴天の霹靂ともいうべき新事実が明らかになり、被告人はめでたく自由の身となる、ちゃんちゃん。とまぁ、正義の実現というシンプルながら力強いカタルシスが、古くはペリー・メイスンの世界や最近でいえばリーガル・フィクションの人気を支えてきたと言っていいだろう。
TVの古畑任三郎などでお馴染みのように、推理ものを得意とする三谷幸喜が、この法廷劇の分野に関心を持つのは当然のことといえば当然のことで、この「12人の優しい日本人」は、過去にも3度だったか上演されているし、中原俊で映画化も実現している。三谷には、東京サンシャインボーイズ時代に、「99連隊」という軍隊を舞台にした異色のリーガルものもあるのだが、これだけ上演を重ねるところをみると、やはり愛着の深いのはこの「12人の優しい日本人」なのだろう。今回のパルコ劇場は、まさに意中の役者たちを揃えて、満を持しての再演といえそうだ。
陪審員の控え室。ある事件の評決のために、12人の男女が集められている。事件は、女性の被告人が、元夫を走ってくるトラックの前に突き飛ばして殺したというもので、話し合いの冒頭、全員が無罪と意見を表明した。あっさりと評決に至ると思いきや、ひとりが意見を覆して有罪を主張したことから、一転して議論は白熱。有罪の疑いが、12人の中に広がっていく。そして、ついに有罪の意見が多数を占めるに至るが、ところが頑なに無罪を主張する陪審員がいた。そこで、再びふりだしに戻らざるをえなくなった12人は、事件の模様を再構築していくことに。
12人もの男女がいて、なぜか正義感にあふれたキャラクターがひとりもない。三谷の芝居は、そういうつくりものめいたキャラを登場させないシチュエーションを出発点にしている。最初は烏合の衆に過ぎなかった彼らが、やがて否応なく事件について真剣に検証、議論に没頭する。投げやりだったり、無関心だったりする者もが議論に加わり、やがて真相へと肉薄していく。その過程で醸成されていく緊張感が、なかなかスリリングだ。
いかにも三谷らしく味付けはユーモラスなのだが、さまざまな人間模様が繰り広げられるなかで、それぞれの人間性を露わにしていく脚本は、やはり何度観ても非常によく練られている。また、容疑者の言葉をめぐり、最後に鮮やかな逆転を見せる推理劇としての構造も、人を食った面白さがあって、見事な出来映えだと思う。
ちなみに、東京サンシャインボーイズ時代には、決まって相島一之と梶原善が演じていた要となる役は、今回生瀬勝久と温水洋一が演じている。どちらも芸達者な役者だが、このキャスティングが変わったことによって、芝居の色合いがちょっと違ったものになった印象もある。(決して悪い意味ではなく)最後に、その他のキャスティングについても、以下に記しておく。(陪審員はすべて数字の号数で呼ばれる)
陪審員1号浅野和之、2号生瀬勝久、3号伊藤正之、4号筒井道隆、5号石田ゆり子、6号堀部圭亮、7号温水洋一、8号鈴木砂羽、9号小日向文世、10号堀内敬子、11号江口洋、12号山寺宏一。

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January 19, 2006

学習しない女●オッホ(新宿THEATER/TOPS, 05.11.23)

gakushuuかなりお気楽な人生を送っているわたしだが、今から溯ること四半世紀前は、今の百倍はお気楽な日々を送っていた。当時は、土曜も半日会社があって、昼からは新宿あたりのレコードショップや書店を冷やかしたりして、のんびりとした午後を過ごしたものだった。その頃、通りがかったシアタートップスのマチネにふらりと入るのがちょっとした楽しみだった。わたしの移動ルート上に位置していたシアタートップスは、そんなときまさにうってつけのロケーションだったのである。
つい先日のこと、偶然休日の午後に新宿で2時間ほどの時間が空いたので、本当に久しぶりにシアタートップスのマチネに飛び込んでみることにした。やっていたのは、オッホという劇団の「学習しない女」という芝居である。オッホという劇団については寡聞にして知らないが、10年以上のキャリアがあるようで、HPを検索してみると、ここ数年は年1回くらいのペースで芝居をうっている。
主人公の矢島(入江聡子)は、売れないTVの脚本家である。彼女は、ディレクターからの強引な依頼で、深夜枠のドラマの脚本を書き下ろすことになった。テーマは、学習しない女。彼女の中でドラマが膨らんでいく中、フィクションと現実が交錯しながら、さまざまな学習しない女の物語が繰り広げられていく。
入れ子の構造や現実と虚構が錯綜する物語は、いかにもこの手の小劇場の芝居らしさを備えているが、正直言ってあまり面白くはない。脚本は、作者の黒川麻衣の経験を踏まえたもののようだが、そこに登場するエピソードのひとつひとつが凡庸であり、イメージが膨らんでいかないからだ。またそれを演じる役者たちにも突出した個性を見出せないのも物足りない。
ただひとり、主人公の家に(何故か)居候(?)している男樫山(人見英伸)に不思議な存在感があるのだが、それとて思わせぶりなまま物語は幕となってしまう。どうも、作品のテーマやそれの咀嚼の仕方が、演出家や役者たちの中だけで完結してしまっているのではないだろうか。長年芝居の世界に身を置いた演劇人たちの、「こんなもんだろう」という馴れ合いの空気ばかりが伝わってくる寂しい舞台でありました。

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January 15, 2006

ウソツキー●猫のホテル (下北沢ザ・スズナリ 05.11.8)

usotuki1970年、その年日本のロックはひとつの進化を遂げた、なんてちょっと大袈裟かも。でも、細野晴臣(b&vo)、大滝詠一(vo&g)、鈴木茂(g&vo)、松本隆(ds)の4人からなる〝はっぴいえんど〟が、URCレコードからデビュー・アルバムをリリースしたのは、ある意味、日本のロック史におけるひとつのマイルストーンであったことは間違いない。
その頃、わたしはどうしていたかというと、東京練馬にある中学に通う中学生で、毎月小遣いで購入する〝ミュージック・ライフ〟を隅から隅まで読んでいた。残念ながら、少ない小遣いではそれがやっとで、はっぴいえんどのLPまでは買えなかったけれど、彼らがそれまで日本のロックシーンで通説だった〝日本語はロックに乗らない〟を覆した最初のバンドであったということは、強く印象に残っている。
猫のホテルの新作「ウソツキー」には、その実在したロックバンド〝はっぴいえんど〟の四人が登場する。舞台は、山中の湖畔とおぼしき静かな別荘。そこに、別荘の所有者の高尾(池田鉄洋)とともに、かつての音楽仲間である三井(岩本靖輝)や家永(久ケ沢徹)、それに家永が連れてきた壕(市川しんぺー)らがやってきている。近くの雑貨屋から食材の配達に来た吉田(佐藤真弓)が高尾が分かれた女と瓜二つだったことに驚く彼らだったが、そんな折、当の良子(佐藤真弓の2役)が、慰謝料の件で担当の会計士横田(森田ガンツ)を連れて現れたから大変。良子は、かつて高尾のほかに、家永、横田らとも関係があったのだ。
折悪しく、ミュージシャンを志す少年明人(菅原永二)が父親と現れ、コンテストの審査員だった高尾のことを恨み、彼の弱みを探ろうと彼の別荘へ乗り込んでくる。父親の美代治(中村まこと)は高尾のことを調べているが、溺愛する息子と、かつて自分がバンドマンだった頃のグルーピーで今も続いている小枝(千葉雅子)との関係の間で悩んでいる。やがて、親子関係の摩擦が、とんでもない事態を招くことに。
名前こそ変えてあるが、高尾をはじめとする四人は実在するわけで、そうなるとエピソードも極端な虚構というわけにはいかないだろうと想像すると、かなり厳しい舞台になるのではないかと懸念していた。しかし、それは杞憂だったようだ。別荘を舞台にした現在から、脚本は巧妙にも無理なく観客を過去へと連れていく。四人が出会い、バンドとしてのテンションを高めていった時期へと、さりげなくタイムスリップしてみせるのだ。
そこで四人は実際に舞台のうえで1曲演奏してみせるのだが、主宰の千葉がやりたかったのはまさにそれではないかと思った。いや、演奏そのものではなく、それを通して、あの時代、すなわちロック・ミューッジックの黎明期を包んでいた時代の空気のようなものの再現。そういう意味で、彼らを演じる四人の役者たちは、すっかり当時の彼らになりきっていたし、おそらくはフィクションを交えているであろう史実の物語を、見事に語ってくれたと思う。
客演も含めて、芝居の達者さがこの劇団の売りだと想像するが、千葉雅子の脚本もそれぞれのキャラクターを最大限に生かしていて素晴らしいと思った。バンドの四人や、少年役の菅原あたりは登場人物としての必然性を持たせ易いとは思うが、市川しんぺーの役柄など、このストーリーに嵌め込むのは普通は無理でしょう。それを実にスムースに実現し、物語にさらなるふくらみを持たせることに成功している。その手腕、唸らされました。

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January 02, 2006

浪漫座別館/スターレス:J・Prog Summit 2005(恵比寿ギルティー, 05.11.05)

romanza当初は、最近頭角をめきめきとあらわしてきてるFantasmagoriaも参加する予定だったというこの日のイベントだが、関西プログレ・シーンを代表する2バンドを同時に観られるだけでも、その充実度はかなりのもの。昨年の復活以来の快進撃が続く新生スターレスとページェントの血を継ぐ浪漫座別館のジョイント・ライブである。恵比寿のギルティーというライブハウスは初めてだが、ゆったりしたスペースと雰囲気で、まずまず悪くない会場だ。
この日は、実は浪漫座別館のレコ発ギグの予定だったのだが、諸般の事情で発売は年末に順延になってしまったらしい。ただし、スターレスが先に舞台に立ったのは、トリを譲ったのではなく、堀江のドラムセットゆえとのことで、なるほどステージ上のセットは短時間じゃセッティングなどできそうにないくらい賑々しい。
現在のスターレスは、ボーカリストでカウントするならば第四期にあたり、メタルバンドのSIEGFRIEDから荒木真偽をハントし、ジュラ在籍期に続き、二度目の黄金時代を迎えているといっていいだろう。リズム隊が磐石なのは言うまでもないが、真偽の自信に満ちたステージングと、ルーツは歌謡曲?と思わせるほどの印象的な歌メロでぐいぐい迫ってくるのは、この日も同じ。オープニングからアンコールまでのあっという間の1時間あまりを楽しませてもらったが、最大の収穫は、待望久しいアルバムの製作に入るというニュースが寿太郎御大の口から発せられたことだろう。その間しばらくライブがないのは寂しいが、早いところ新アルバムを届けてほしいものだ。
ところで、その際新曲もいいのだが、かつでMADE IN JAPANから出ていたライブ・アルバムに収録されていた曲を新録音でぜひ入れてもらいたい。〝Stage〟なんて、涙ものの名曲もありましたよねぇ。ぜひたのんます。あと、蛇足ながら、GWの神戸のライブでその片鱗をのぞかせた大久保率いる若き(?)ハードロックバンドのFIGA(森口亮vo&g、水谷祐一朗g、村中ろまん暁生dr、上村禎徳key)も現在音源を作っているようで、そちらの方もど~んとライブをぶちかましてもらいたいもんだ。
さて、別館というややこしいネーミングの浪漫座別館は、かつてページェントを率いた中嶋一晃が現在やっているバンドで、本館の方がページェントのカバーバンド、こちらの別館がオリジナル曲をやるバンドという使い分けをしているらしい。過去に東京でのライブも敢行しているが、個人的にはページェント脱退後に中嶋が結成した夜来香というバンドが、いまひとつ耳に馴染まなかったことの後遺症から、浪漫座別館にも興味が湧かなかった。しかし、いよいよファーストアルバムがリリースされるというので、ちょっと観てみようかという気になったのだ。
駄菓子売り、中の島ガッツブラザースのコントと、いかにも中嶋好みの幕開きから、ライブは賑やかに始まった。ボーカルのひなの堂々たる歌いっぷりに目と耳を奪われているうちに、ステージはどんどん進んでいく。曲想は、フロマージュ、ページェント、夜来香と歩んできた中嶋一晃というアーティストのテイストというか好みのようなものを感じさせるものばかりだが、実はソングライティングはキーボードの北白川妙朗の力が大きいらしい。〝ホテル・パノラマ〟、〝恋する王様〟など、ひとつひとつの曲の完成度はかなり高いと見た。
それにしても、ひなというシンガーの存在感はなかなかのもので、軟硬両面を見せながらのステージの運びにはほれぼれした。中嶋一晃というのは、本当に女運、いや女性ボーカリスト運のいい人だ。またテラローザにいた浜田勝徳のベースも乗りがよく、全体を引き締めている。ところどころ息切れしていた座長中嶋だが、気持ちよさそうにハケット乗りでギターを弾いていたのも印象的。アンコールの〝セルロイドの空〟は、ページェント時代からのお約束だが、この日の演奏は、まざに円熟の境地を感じさせるような出来映えで、思わず涙が出そうになった。
後日手に入れた彼らのアルバム〝東方大ロマンス〟には、帯に〝「螺鈿幻想」から二十年〟とあった。もうそんなに経つのかという感慨とともに、その長いキャリアを経て、これだけのメンバー(前記のほかに、泉谷賢、中嶋秀行)に囲まれ、充実のライブを繰り広げることができる中嶋一晃のミュージシャン冥利のようなものを羨ましいと思った。

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December 31, 2005

メメント (2000)

mement記憶のメカニズムは、不思議であると同時に不可解でもある。クリストファー・ノーラン監督の「メメント」の主人公レナード(ガイ・ピアーズ)は、短期記憶に深刻な障害をもっている。妻を目の前で殺された時に負った精神的、肉体的な衝撃で、数分前の記憶を持続することができなくなってしまったのだ。その彼が、失われた記憶を辿り、妻殺しの犯人に復讐をしようというストーリーなのだから、これは主人公ばかりか観る側にも、一筋縄じゃ行かない手強さがある。
復讐のターゲットについて足で調べた成果も、時間がたつと彼の頭の中から蒸発するように消えてしまう。そこで、彼はメモを残すのだが、それとて油断すると他人に改竄されてしまう。そこで、究極の記録方法として、彼は自らの肉体に情報内容を刺青で入れておこうと思いつく。その結果、彼の体には、いたるところに情報の断片が散りばめられている。
主人公のレナードは、映画の冒頭、ひとりの男を射殺する。殺された男テディ(ジョー・パントリアーノ)は、時間を溯るにしたがって、警察官を名乗り、主人公に付きまとっていたことが明かされていく。また、彼にはナタリー(キャリー=アン・モス)という協力者もいる。彼らが、自分にどうかかわっているのかを思い出せない主人公。彼には、元保険会社の調査員で、現在の彼と同じ症状を訴える請求者サミー(スティーブン・トボロウスキー)を虚偽の申請として退けた経験があった。しかし、その記憶とて、主人公は自分の過去と混同していることが観客に示唆される。やがて、テディやナタリーに思惑も、おぼろげながら浮かび上がってくるが、そこには彼の行動を否定するような、恐るべき事実が隠されていた。
このように、記憶障害という主人公のハンディキャップだけでも十分に犯罪ドラマとして異色なのだが、さらにそれを逆回しで観客に見せようという捻くれたアイデアが、ノーラン監督の企みだ。タイトルバックのイントロダクションの部分のみ純然たるフィルムの逆回しで、あとは短いシークエンスが、時系列の逆に並べられている。おまけに、シーンの狭間には、またさらに過去の断片がモノクロの画面で挟み込まれているといった複雑さなのである。
この時間の逆回転というやつは、中にはすんなり受け入れることができる人もいるようなのだが、わたしの場合はまったくだめで、何度も映画を見直したばかりか、DVDの映像特典としてついている逆再生までやってみたが、それでもいまひとつピンと来ない。実は、これを書いている今も、果たしてこの映画をきちんと理解できているかどうかも、正直怪しいのだ。
なるほど、これは並みの推理小説以上に、ミステリアスな映画といっていいだろう。しかし、本編が真の意味でミステリ映画かというと、それは違うように思う。非常に複雑で手ごわいジグソーパズルが、必ずしも謎解きの閃きや推理力を必要としないのと同様に。
途中に手がかりもあるようなないような、クライマックスのカタルシスもあるようなないような、無理にミステリ映画として捉えようとすると、非常に論評しにくい、難しい映画という印象をもった。それゆえ、なんども見直す気になる(見直さざるをえない)謎を孕んだ映画であることは間違いないのだが。[?]

(ネタばれ)
こうではないかという事実を時系列に箇条書きにする。でも、自信はまったくない。
1.保険屋時代のサミーという詐欺師と出会ったが、彼に妻はいない。
2.妻殺しの犯人は2人、うち1人はレナードが浴室で射殺。もう一人はレナードを殴って逃亡。 しかし妻は死んでいない。担当刑事はテディだった。
3.その後、インシュリン多量投与で妻は死亡する。実際に注射をしたのはレナードである。(サミーの記憶との混同)
4.テディの協力で、逃げていたジョン・Gを殺害する。しかし、すぐにそのことを忘れてしまう。後によく主人公が取り出す胸を指差し笑うレナードの写真は、この時テディが撮影した。
5.テディに利用されてジミーを殺害。
6.ナタリーの家でドッドの話を聞く。 ナタリーはドッドをレナードに始末させるため、芝居をうつ。
7.ナタリーからジョン・Gのニセの情報を受け取る。
8.テディを殺害(冒頭のシーン)。ジミーを殺したせいでドッドに追われ、麻薬がらみの事件に巻き込まれるものの、真実を知るテディを殺してしまったことによって、レナードはジョン・Gを未来永劫にわたって探しつづけることになる。

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November 05, 2005

越前牛乳●カムカムミニキーナ旗揚げ15周年記念公演 (新宿シアターアプル ,05.11.02)

echizenhp1かつては、同じ公演に何度も足を運び、買ったビデオが擦り減るほどどっぷりと夢中になって観たというのに、野田秀樹の芝居との相性が悪くなって久しい。夢の遊眠社を解散し(最終公演は1992年)、イギリス留学から帰ってNODA・MAPを結成した頃(第1回公演は1994年)を境に、いつの間にかその舞台に付いていけなくなってしまった。こちらの老化現象なのか、それとも野田の芝居に変化があったのか。まぁ、その両方なのだろうが、先日久々に足を運んだ往年の名作「走れメルス」でも、やはり自分と舞台との距離感の隔たりのようなものには、如何ともし難いものがあった。
そんな折、「これって、野田秀樹だよ」と思わず手に汗握る芝居に出会った。いや、正確にいうなら、「かつての野田秀樹の芝居と同じ興奮をわたしにもたらしてくれる芝居」ということなのだが。カミカムミニキーナの「駅前牛乳」である。早稲田の劇研出身のこの劇団、不覚にもこれまでまったくノーマークだった。なんと、今回の公演が旗揚げ15周年というのだから、かなりの古株だ。主宰で役者と演出をこなす松村武は、史上最年少で明治座の脚本・演出を手がけたというのだから、商業演劇に関してはかなりの才人だと思われる。今回の「駅前牛乳」は劇団初期からの代表的な作品らしい。
舞台は戦乱の嵐が吹き荒れる群雄割拠の時代。北陸地方の山中の牧場で少女ハイジ(藤田記子)と子牛ドナドナ(佐藤恭子)は平和に暮らしていた。ところが、そんな牧歌的な日々にも、ある時ピリオドが打たれる。戦渦に巻き込まれた彼女は、亡くなった祖父の遺言でドナドナをつれて市場へ向かう。そんな彼女の前に幸福な未来を売る越後屋(八嶋智人)とバラ色の過去を売る越前屋(松村武)など、ハイジとドナドナの争奪戦を展開し、彼女らの運命を翻弄していく。
言葉(台詞)の連想から破天荒な物語を構築していくという本のつくりを始めとして、舞台上で繰り広げられる奔放な言葉遊び、めまぐるしい動きまで、これは間違いなく夢の遊眠社が全盛を誇っていた頃の、あの熱気である。しかし、そう感じる理由は、遊眠社恋しやの懐古趣味なのかというと、どうも少し違うような気がする。野田の芝居はややもするとシュールな方向へと向かい、観客を異世界へと連れ去り混沌と眩惑するのに対し、村松のそれは、あくまで現実の世界にとどまり、大衆性に足を下ろして物語を繰り広げるような親しみ易さがある。
でも、実は正直、幕開きの15分ほどは時代や舞台設定などの状況説明がくどく、出演者たちの歌やダンスがあまり上手くないこともあって、なかなか身を乗り出す気になれない。ところが、ハイジが市場で越後屋と越前屋に遭遇するあたりから、舞台はにわかに賑々しくなる。八嶋が舞台を駆け回り、マシンガントークで共演者に執拗に絡んでいく一方で、松村の華のあるコメディリリーフぶりも素晴らしい。つっこまれ、いたぶられまくるヒロインの藤田も、たじたじになりながらどこか輝く健気さがあって、観客の視線を釘付けにする。
また、山崎樹範や吉田晋一らの脇役陣も、脇役に甘んじることなくスポットライトを浴びる場面があって、これがまた芝居の中でいい意味での箸休め的な役割を果たしている。牛を演じる佐藤恭子の不思議な存在感も、なかなかの印象を残した。この劇団を見逃してきたこと不明をなんとも悔やむばかりだが、いい芝居を見せてもらった。
そんなこんなで、また懲りずに本家野田秀樹の「贋作・罪と罰」でも観にいくか、と思っている今日この頃である。

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November 04, 2005

minoke? / Holding Pattern(Tony Spada) :POSEIDON Festival 2005 (四谷Outbreak, 05.10.28)

新人バンドがこぞって出演するプレデイを含めて6日間のフェスティバルのうち、この日は4日目。わたしは、前日に続いて2回目のアウトブレイクである。この日のお目当ては、アメリカから参加のHolding Patternなのだが、驚いたことに発売日を遥かに過ぎて購入したチケットの予約番号が、なんと5番。当日、開場の時点でも10人と集まっていなかった。さすがに、開演時刻にはそこそこの観客が揃ったが、知名度が低いせいなのだろうか。それにしても、この注目度の低さはあまりに寂しい。

2005minokelive1さて一番手のminoke?は、カワグチヤスシ(b), タカハシカツノリ(d), カヤマコウセイ(sax), セキドクニヒコ(p)からなるカルテットで、サックスが前面に出たジャズ系のサウンドである。最近になって、よくバンド名を耳にするようになったが、POSEIDONのVital records からデモ盤をリリースしている。前身は環境音楽を志していたようだが、今はしっかりとしたジャズ・ロックの音で、時に変拍子を刻んだり、シンフォニックに響いたりと、なかなか心地よい音を生み出している。
サックスのカヤマのMCはすっとんきょうだが、演奏に関していえば、それぞれのメンバーの力量はなかなかのものと見受けた。ベースのカワグチは、アウターリミッツでヴァイオリンをひく桜井の弟だとか言ってたが、本当だろうか。途中、彼がベースをスティックに持ち替えてから、楽曲に面白みが増したように思う。ドラムスもタイトだし、キーボードもいい場面で活躍してくれる。当日は2曲入りのサンプラーを配布していたが、ライブでの演奏の方が、温かみ、そしてスリルの面でも一枚上手で、なかなかのライブバンドのようだ。また観てみたいと思う。

holding大柄な男たち3人のいかにもむさ苦しい雰囲気のHolding Patternは、Tony Spada(g), Robert Hutchinson(d), Tony Castellano(b, key)の3人組で、過去にアルバムが日本にもレギュラー入荷したことがあり、わたしは輸入盤屋で手に入れ、確かに聴いている筈なのだが、実は印象は曖昧。で、どんな音が出るのか、興味を持って開演を待ったが、Tony Spadaのギター弾きまくりの豪快なサウンドで、前日の荘園をふと思い出したりもした。しかし、プログレ系のソロアルバムもあるTony Castellanoのキーボードが入り、曲はジェネシスのテイストがほのかに香る曲で、くどいくらいにシンフォニックな展開のナンバーが前半は続いていく。
中盤からは、Tony Spadaのソロアルバムからの選曲が増えたのか、ジャズロックのテイストが強まり、やや単調な場面もあったが、強引に1時間半程度のステージをこなしてみせた。惜しまれるのは、セッティングに1時間弱もかかり、観客が待ちくたびれてしまったことか。終演を待たずに、どんどん客が帰っていってしまったのは、あんまりだと思った。PAの不調なども重なり、バンドにとっては不運だったと思う。ややハードさがくどい印象は残ったが、豪快なシンフォ、ジャズロックを楽しめた一夜でありました。

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November 03, 2005

Lu7 / Fantasmagoria / 荘園 :POSEIDON Festival 2005 (四谷Outbreak, 05.10.27)

poseidonプログレ系のフェスティバルで思い出深いのは、吉祥寺のシルバーエレファントで毎年ゴールデン・ウィークに開催されていたイベントだ。中嶋一晃率いるページェントを最初に観たのはそこだったし、その時のキーボード兼ボーカルの永井博子嬢の強烈なメイク姿は、今でも強烈におぼえている。
そのフェスは、当時のブームの牽引車だったヌメロ・ウエノ氏のメイドインジャパン・レーベルの色合いが強く出たイベントだったが、今年で2年目を迎える〝ポセイドン・フェスティバル〟は、現在のプログレ界をリードするポセイドン・レーベルが主宰している。同じプログレでも、両レーベルはカラーがまったく異なるが、ポセイドンの特長はマニアックさを追求するよりも、さまざまな価値観を視野に収めているところだろう。この手のイベントのいいところは、いくつものアーティストをまとめて観られることだが、この日の出演も、前から気になっていながら、ライブアクトにはなかなか立ち会えなかったはバンドばかりが3つ並んだ。これはもう足を運ぶしかない。

Lu7はギターの栗原務とキーボ-ドの梅垣留奈という男女二人のユニットで、すでにアルバムを2枚リリースしている。栗原が伝説のバンドGREENのメンバーだったことを知って興味を惹かれたわたしは、ファーストアルバムを通販で購入し、忽ちのうちにファンになった。フュージョン、クロスオーバー系の楽曲だが、梅ちゃんこと梅垣のキーボードが大活躍し、栗原の達者なギターがそれに被さるサウンドは、非常に洗練されたプログレでもある。目の前に、異国の風景が浮かび上がるような、イメージ豊かな音像がなんとも魅力だ。
この日のベースは、アフレイタス、VIENNAにもいた永井敏己ということもあって、プログレ色が一段と強まった印象を受けたのだは、わたしだけだろうか。わずか1時間程度のステージだったが、メロディアスで浮遊感のあるLu7のサウンドを堪能した。梅ちゃんのエキセントリックなMCもいい味を出している。わたし、ひと目で彼女のファンになりました。

Fantasmagoriaはバイオリン・フロントのプログレ・バンドとして、ここのところ名をあげている若手だ。海外のプログレフェスへの出演を果たし、ライブのデモ音源をリリースするなど、ここのところの追い風ムードに乗っての登場といっていいだろう。リーダーをつとめる藤本美樹のバイオリンをはじめとして、小谷竜一(key)、尾崎淳平(g)、吉田健太郎(b)、佐藤将一(d) というメンバーたちの楽器の腕も確かとみた。
この日の演奏も、アウターリミッツやミダスというバイオリンが売りの先達にまったくひけをとらないソロを聴かせてくれた。ソーニャ・クリスティーナのカーブド・エアあたりを連想させたりもする。彼らの売りは藤本のバイオリンが他の楽器(ギターやキーボード)と濃密に絡む展開で、この日もたっぷりとその特徴を見せつけてくれた。藤本を除くと、いかにも素人臭いステージ衣装で、オープニングの1曲などは固い印象もあって最初は心配したが、その後の充実した演奏ぶりにひと安心。曲も変化に富んで、1曲1曲がよく練られている。早くフルレンスのアルバムを届けてほしいものだ。
(セットリスト)※HPより
誰彼 / M.N.K / Crusader / Omoplatta / Joanni / Blue rice / Shakespeare / Into the Sea / Epic

トリをとった荘園は大阪のバンドで、仏ムゼアから2枚のアルバムをリリースしている。メンバーは、Yasuhiro Nishio(g), Hiroaki Fujii(b), Isao Mori(d)の3人。わたしは、ベースの藤井が関西の老舗プログレバンド、クェーサーのメンバーだということを初めて知りました。音的には、ヘビィなリフを重ねるギター中心のハードロックバンドという印象。
終始ハード色で押しまくるインストなので、さすがに1時間以上の演奏は単調な感じになるが、妙に印象的であとをひく楽曲も少なくなく、わたしは会場で思わず出たばかりのセカンドアルバムを購入してしまいました。ギター轢き倒しの曲が続く中に、甘くメロディアスが曲が突然挟まる構成も、なかなか和ませてもらった。曲ごとの完成度があがり、ステージングがもっと引き締まると、さらにいいバンドになると思う。押しまくる演奏とは裏腹に、親しみを感じるMCも良かったです。はるばる大阪から、お疲れさんでした。
(セットリスト)※HPより
SAKURA1 / LIFE GAME / THE MOON KNOWS EVERYTHING / NEW(5beat) / QUAPPA / LUCIFER'S CHILD / NEW (slow) / NETWORK BROKEN / A THORNY PATH / KIRIN / THE POWER OF THE EARTH / SAKURA4 / (I CAN) R&R AGAIN

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October 31, 2005

フェイス イン フェイス●プレイメイトNo.6 (新宿THEATER/TOPS, 05.10.20)

faceこれまでの長い人生で舞台に立った経験はたった一度、小学六年生の学芸会だけ、というこの身にとって、芝居や演技の神髄が何かってことには、まったく語るべき言葉をもたない。そんな素人にとって、唯一、役者はすごいなぁ、と思い続けてきたことがある。それは、涙である。役者は、ここぞという場面で、実に見事に涙を流してみせる。たとえそれが嘘の涙だとしても、そういう場面を見るたびに、わたしはちょっとした感動をおぼえる。
プレイメイトの「フェイス インフェイス」で印象深かったのも、NYLON100℃からの客演、新谷真弓の涙である。まさにハイライトともいうべき場面で、彼女のほろっとこぼした一粒の涙は、一瞬頬を伝い、白い衣装に吸い込まれていった。ほんの数秒間のことだったけれど、わたしの目はそのシーンに釘付けとなってしまった。破天荒で、スラップスティックなところのあるこの芝居を、ぐっと引き締めたのは、まさにあの場面だったと思う。
さて、「フェイス イン フェイス」は、ほぼ一年ぶりのプレイメイトの公演である。前回の「SWAP2004」は、京晋佑や野口かおるの達者な客演もあって楽しい舞台だったが、今回は、実際にも東映の戦隊ヒーローものに出演していたイケメン男優である西興一朗をゲストに、心に翳りをもつ整形外科医と屈折したイケメン俳優の10年にもわたる奇妙な医師と患者の関係を描いていく。
人気の美容整形クリニックに、若い俳優が訪ねてくる。彼、里中修介(西興一郎)は、自分が俳優として成長を遂げていくためには、自分のイケ面がどうしても邪魔だといい、整形外科医の海老原(近江谷太朗)に、自分の顔をブサイクにしてほしいと頼み込む。里中の不躾な態度と不可解な願い事に困惑する海老原だったが、結局は長い時間をかけて、彼の願いを叶えることを承諾する。
通院を重ねるうちに、里中は看護婦の新堂加奈(新谷真弓)と関係を持つようになるが、患者との関係を問い詰める海老原に対して、新堂はそれを否定する。そんなある日、海老原のもとに、高校のクラスメートだった船越(平賀雅臣)が訪ねてくる。彼は、自分の妻を帰してくれるように脅したり、すかしたり、海老原に懇願する。船越は、居合わせた里中に叩き出されてしまうが、翌日刑事(平賀の二役)が海老原を訪問し、船越が何者かに殺されたことを伝える。
サイコロジカルスリラー仕立ての凝った内容である。船越が登場するあたりから、海老原という人物の翳りある部分が次第に浮上し、やがて物語の構図そのものが反転する。説得力にやや不足があるような気もするが、このあたりの構成の妙味は面白いと思う。
テーマの根底には、容姿に対するコンプレックスというのがあって、それをこういうサスペンス劇で表現しているところに感心した。美人と不美人、そしてハンサムとブサイク。その両サイドを行き来する手段として、美容整形というガジェットを実に巧妙に使いこなしている。
新谷真弓は、一見大味な芝居ぶりなのだけれど、里中との濃厚なラブシーンや海老原への切ない思いなどを、場面場面を演じ分ける達者ぶりに感心させられた。とりわけ、先の涙の場面は、ぞくぞくするほどの感動をおぼえた。今度は、是非ホームのNYLONの舞台で元気な姿を見せてほしいものだ。
主要な登場人物のうち、近江も平賀もいい芝居ぶりだが、西はもうちょっと台詞をきちんと入れてこいよ、と思わせる場面が多かった。あ、これはイケメン俳優に対するコンプレックスからの発言ではありませんよ。

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October 15, 2005

本好きの少年少女よ、「神様ゲーム」を読みたまえ

kamisamaミステリがルールの上に成り立っている文学であるということは、いうまでもない。しかし、一方では何かが成長していく過程において、殻を破ることは避けられない必然だということも事実なのであって。そういう意味で、ミステリ小説が進化を遂げようとしたとき、そこにはちょっとしたジレンマが出現する。なぜなら、殻を破ること、すなわちルールを破ることは、ミステリであることのアイデンティティそのものを破壊してしまう可能性があるからだ。
そんな掟破りを事もなげにやる作家が、麻耶雄嵩である。今回の『神様ゲーム』も、そんな作者の破戒の精神があますところなく発揮されている。主人公の芳雄は小学校高学年の少年である。同じ町内に住む学校の仲間たちと探偵団を結成し、秘密基地を作ったりして遊んでいる。仲間の中には憧れのミチルちゃんがいるが、親友の英樹は住んでいる町が違うので、仲間に迎えることができない。
ある日、芳雄は当番で掃除の最中に、クラスメートの鈴木君に話しかける。転校生で、あまり目立たない存在だった鈴木君だが、彼は芳雄に自分は神様だと告げる。この宇宙で、彼の判らないことや、思い通りにならないことは一切ないと淡々と語った。鈴木君は、未放映のTV番組の内容も、そして最近このあたりで起こっている連続猫殺しの犯人名も簡単に教えてくれた。
探偵団の面々は、猫殺しの容疑者をマークするが、そのさ中、密室状況の古井戸の中で芳雄の親友英樹が死体になって見つかる。親友の死に思い悩み、苦しんだ挙句、芳雄は鈴木君に、英樹殺しの犯人に天誅を食らわすように頼みこむ。しかし、その直後に死んだのは、まさかと思える人物だった。
子どもたちの世界を、いかにもジュブナイルのタッチで見事に描いている。さらにミステリとしても、親友英雄の密室状況の死をめぐる謎解きにしても、意外な真犯人へ到達する論理的な筋道にしても、非常によく練られていると思う。ただし、最後に待ち受ける本当に意外な結末の直前までは…。
いや、ミステリの話をするとき、最後にサプライズエンディングが待ち受けていることを明らかにすること自体がタブーなのだが、この「神様ゲーム」に関しては、それを抜きには語れないだろう。確かに意表を突かれるし、びっくりもする。しかし、明かされる真相に、合理的な伏線や手がかりがあったかというと、どうも思い当たるものがない。それでも、この結末を持って来るあたりに、麻耶雄嵩という作家の孤高のミステリ感が色濃く現れているように思う。また、神という存在が、一種のメタミステリとしての仕掛けとしてではなく、麻耶ミステリのメタファーとして象徴的なのがいかにも面白い。
児童向け叢書の一冊ということもあって、「子どもには読ませられない」という書評ばかりが目についた本作だが、個人的には読書好きの少年少女にこそこの本を積極的に進めてみたい気がする。そもそも本好きの彼らには、大人のわれわれが被保護者として見下す以上の耐性と新しい価値観への好奇心があるように思えるのだが。原ますみの装画と挿絵もいい味を出していると思う。

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October 13, 2005

Hatfield & the North (CLUB CITTA'川崎, 05.10.01)

hatfield_and_the_north長い間、ハットフィールド&ザ・ノースは、機会があればライブを聴きたいバンドのひとつだった。といっても、彼らの代表的なアルバム「ハットフィールド&ザ・ノース」、「ザ・ロッターズ・クラブ」がリリースされたのは、今から30年ほども前のことなので、当時はカンタベリー・サウンドへの興味が希薄だったこともあって、リアルタイムの彼らについての記憶は殆どない。ただ、印象的なジャケット・デザインは目に焼き付いていて、CD化が実現するとすぐに手に入れて、自在で親しみ易いサウンドにたちまち魅了された。
そういう意味では、わたしの中では彼らは古典という位置付けなのだけれど、バンド自体は再結成以来ライブもしっかり行っているようで、その音源も耳にしたことがある。演奏の内容は、かつての延長上にある演奏のように思えたものの、やはりライブとなると期待が一段と高まるのがファンってもんで、来日公演のチケットはいち早く手に入れてあった。
ライブは、予想通り穏やかな幕開け。最初の数曲は調子がいまひとつの感じもあったが、だんだんとエンジンがかかる。リチャード・シンクレア(b,v)、ピップ・パイル(d)、フィル・ミラー(g)、アレックス・マグワイア(kb)といった名うてのミュージシャンが揃っているだけあって、ソツのないインストが展開されていく。サウンド自体に派手さはないが、各プレイヤーの円熟したプレイは、耳を傾けていてたおやかで、とても心地よい。そうそう、これぞH&TNだ!
今回のライブで印象的だったのは、出番がまわってくると前面に出てくるキーボードで、ツアーに同道したアレックスはハットフィールド&ザ・ノースのファンだったそうだが、かなりのアピール度。キーボードが入っただけで、がらりと雰囲気が変わる演奏ぶりが面白かった。
もちろん、オリジナル・メンバーたちのプレイぶりも素晴らしく、リチャード・シンクレアにはいつになく余裕のようなものがあったし、歌声にも味があった。フィル・ミラーの自在なギターも、心地よい音色を奏でていた。ピップのドラムスが全体を引き締めていたのは当然のことだが、彼は隙さえあればすぐにカウントをして曲に入ろうとするのがおかしかった。他のメンバーは、聞こえてないフリをして、悠々とチューニングしたりしてたけどね。
全体で2時間半くらいの演奏が二部構成になっている。(休憩20分)出来は、後半の方が圧倒的によく、メンバーたちも気分が良さそうだった。わたしが観たのは初日だけれど、翌日の方がよかったかも。なお、この日の演奏は、ライブCDとしてリリースの予定があるそうだ。

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October 12, 2005

FUTURE OR NO FUTURE●拙者ムニエル (新宿THEATER/TOPS, 05.09.29)

munieruちょっと乱暴な物言いになるやもしれぬが、未熟さが醸し出すテイストというのがあるように思う。例えば、どこか青臭く、ぎこちない中にも、芝居本来の原初的なエネルギーが伝わってくるような芝居、とでもいったらいいだろうか。そういう芝居が好きで、かつての山の手事情社やZazou Theaterといった大学の劇研出身の劇団に、よく足を運んだものである。早稲田大学の大隈講堂裏の怪しいエリアにある劇研のアトリエにも、行ったっけなぁ。
最近でいえば、双数姉妹からもやはりそんな懐かしさのようなものを感じたけれど、彼らの芝居自体は、かなり洗練された完成度の高いものだった。その点、今回初めて観る〝拙者ムニエル〟には、そんなプリミティブなテイストが非常に濃い。いや、ずばり言おう。フレッシュで元気いっぱいな芝居ではあったのだが、しかしどこか稚拙さが前に出てくる。いや失敬、決して彼らの芝居を腐しているわけじゃなくて。
彼らの「FUTURE OR NO FUTURE」は、主人公のマルオ(村上大樹)が、原作、演出、主演を自らがこなし、大人の恋愛をテーマにする宣言の場面から、物語の火蓋が切って落とされる。小さな劇団を主宰するマルオは、ある日中学時代のあこがれの同級生ヨメコ(町田カナ:reset-N)と再会し、会ったとたんにふたりは恋におちる。まさに奇跡とも呼ぶべき偶然の再会で始まったマルオとヨメコは、めでたく結婚するが、おたくでコンプレックスの固まりのマルオとミス日本に輝くヨメコでは価値観が合うはずもなく、たちまちのうちに離婚の危機が訪れる。
そこで、マルオには、ふたつの可能性が提示される。すなわち自らを悔い改め、再度切磋琢磨して、再びヨメコにプロポーズを捧げるフューチャー。一方は、自暴自棄に陥り、滅茶苦茶をやった挙句に、すべてを失うノー・フューチャー。う×こから作られた二体のクローンが、フューチャー、ノー・フューチャーというマルオのふたつの可能性を辿り始める。
とにかくエネルギッシュ。役者たちも、ほとんどが大味な芝居ぶりにうつるのだが、それを強引なストーリー展開で物語の大車輪を廻していく。隙間のない展開は、やや息苦しい感じもあるが、芝居としての密度は高い。結構、いきあたりばったりの展開と思わせておいて、最後はきちんと着地するあたりも、作・演出の村上大樹はなかなか冴えている。
そうなると、最初は観ていられない場面もあった役者たちに輝きが感じられるようになるから不思議だ。とりわけ、負け犬OL役がはまっていた成田さぽ子が面白く、終盤はいい芝居をしていたように思う。ギャグは、質よりも量という感じでしょうか。それでも、これだけの物量作戦でこられると、さすがに圧倒される。それなりに楽しめた初めての拙者ムニエルでした。
蛇足だけれど、わたしが足を運んだのは初日で、この日は入場料が500円安かった。こういうのは、ちょっと嬉しいね。

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October 02, 2005

大高清美Band : Metro Music Oasis vol.4 (地下鉄銀座駅〝銀座のオアシス〟, 05.09.29)

metroかつてJR大阪駅の前で、地元のあんちゃんたちとおぼしきバンドが、電源車を傍らに停めて、ストリートライブをぶちかましていたのに出くわしたことがある。もう夜もいい時間で、歩いているわたしもちょいとほろ酔い気分だったのだが、彼らが演奏しているノリのいい〝クロスロード〟を聴いて、ほぅ、ロックのストリートライブもいいものだな、と思った記憶がある。
しかし、同じストリートライブでも、これはまた雰囲気がまったく違う。東京メトロ銀座駅の地下コンコースの片隅が会場で、天井も低ければ、すぐ横をサラリーマンやOLも行き交っている。Metro Music Oasisという東京メトロ主催のイベントで、4回目にあたる今回は、2夜を2アーティスト(大高清美と新澤健一郎)がそれぞれ2セットづつのライブを行った。
わたしが足を運んだのは、オルガン・プレイヤーの大高清美が率いるグループの方で、告知用のポスターに載ってた紹介文にちょっと興味を惹かれたからだ。すなわち、〝彼女のオルガンプレイは、既成概念を超えている。ジャズもロックもプログレもファンクも飲みこみ、ある時は叙情的に、ある時は変拍子を多用したメカニカルなプレイ、その二面性が同時にサウンドとなって押し寄せる。〟(ポスターから引用)ま、早い話が、〝プログレ〟の二文字につられたのである。
大高清美の名は、不勉強なことに初耳なのだが、プログレのフィールドでもあまり話題になったことがないのではないか。しかし、この日の演奏を聴いてみて、乾いていながら、どこか湿った感じのオルガンの音色は、なるほどルーツとしてのプログレを十分に感じさせるプレイヤーだと思った。ジャズ、フュージョンのキーボードというよりは、オルガンへの拘りが感じられ、どことなくブリティッシュ・ロックにルーツがあるような気がする。
ソロのパートになると、結構重量感のあるプレイを展開し、テクニック的にも十分な手ごたえがある。彼女の書く曲は、フュージョン、クロスオーバーにありがちな曲展開が目立つものの、ここぞという場面には、印象的なフレーズがさりげなく飛び出してくる。すでに5枚にも及ぶリーダーアルバムをリリースしているという自信にしっかりと裏打ちされた演奏ぶりにも好感がもてた。
この日のメンツは、大高清美(org)、矢掘孝一(g)、岡田治郎(b)、菅沼孝三(d)のカルテットで、バックのメンバーたちが所属するFragile、Prismなどの音ともシンクロする演奏だったが、予定調和のフュージョン・サウンドをぶち壊すかのように、菅沼がここぞという場面にくると、大胆不敵なソロパートを繰り広げてくれたのが愉快だった。菅沼のドラムというと、プログレ・ファンとしては、Blackpageでの破天荒なドラミングが強烈な印象に残っているが、この日の演奏も、ややもするとリーダーの大高をも食ってしまうほどの存在感を誇っていた。
大人の町銀座で、夕方の雑踏を横目に聴くロック(それもプログレ)、なかなかいいものでありました。

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October 01, 2005

ニセS高原から●前田司郎(五反田団)組 (こまばアゴラ劇場,05.09.14)

nise井の頭線の駒場東大前にあるこまばアゴラ劇場は、8月からここのところずっと〝S高原から〟一色である。4人の演出家たちによる異なったバージョンをシャッフルした〝にせS高原から〟の連続公演に続き、平田オリザ自らが演出する青年団の「S高原から」がそれを締めくくるというスケジュールが組まれているらしい。そこまでやるなら、わたしもこのあたりで名作の誉れ高き「S高原から」を観ておこうかと思い立ち、足を運ぶことに。
わたしが観たのは、五反田団の前田司郎が演出を手がけるバージョンだが、本家を入れて5つの選択肢からこの「にせS高原から」を選んだ理由は、さほど明確なものではない。贔屓の小劇場系の役者がもっとも多いセットだったことと、自分のスケジュール上だけのことである。「S高原から」は、どちらかといえば固く真面目な芝居という印象が強いので、せめて役者くらい馴染みが多い方が楽しめるのではないか、と思った次第である。
カーテンコールで舞台上に出演者が揃った時に、改めてびっくりした。群像劇だということは観ている最中から十分に理解していたつもりだけれど、こんなにも多くの役者たちが舞台に上がっていたのか。物語については、明確なストーリー性はない。高原のサナトリウムの患者たちと、それを見舞いにやってくる患者の友人たちの人間模様とエピソードが、実に淡々としたタッチで繰り広げられていく。
ストーリーの輪郭は曖昧だが、印象的な人物の結びつきがいくつか登場する。もしかすると、そのどれに興味を惹かれるかは、まさに個人によってさまざまかもしれないが、わたしの場合、三組のカップルが心に残った。その三組とは、西岡隆(黒田大輔:THE SHAMPOO HAT)と上野雅美(立蔵葉子:青年団)、村西康則(大島怜也:PLUSTIC PLASTICS)と大島良子(内田慈)、それから福島和夫(増田理:バズノーツ)と坂口徹子(大倉マヤ:双数姉妹)である。
それぞれの関係のありようは、まったくと言っていいほど異なる。恋人を遠ざけようとする男と婚約を解消しながらも男への思いを断ちきれない女、恋人を待ち焦がれる男と友人を介して別れ話を持ち出そうとする女、余命いくばくもない浮気男とそれでも彼を愛する女、などなど。彼らの男女関係は、物語の悲劇的な側面を象徴するかのように、物語の中心に据えられており、それ以外の人間関係がこれを衛星のように取り巻いて、この死をめぐるドラマを形成している印象なのである。
そこはかとないユーモアを感じさせる演出は、逆に死のイメージを浮き彫りにしようという演出者前田の意図だったのだろうが、それが成功しているかというと、ちょっと微妙なところかもしれない。わたしとしては、ユーモラスな味付けからはストレートに軽快さを読み取り、死の影にはむしろ薄い印象をもった。
登場人物が多いと書いたが、それがゆえに存在感を観客に与えないまま終わってしまっている役者たちもいた。例えば、公演期間前半を病気で休演したからだろうか、Hula-Hooperの菊川朝子など、もう少し個性が前面に出た役柄を演じても良かったと思う。溌剌とした存在感があるのに、もったいない。そのあたりに、このバージョンの未醗酵な部分が垣間みえるような気がするが、それは穿ち過ぎだろうか。一方、先のTHE SHAMPOO HATの公演「事件」では、いまひとつとらえどころのなかった存在の黒田が、この作品の中では実にいい味を出していたことも記しておきたい。
ともあれ、予想以上に面白い芝居だったことは事実である。役者たちのコラボレーションも、なかなかだったと思う。正直、他のバージョンも観てみたかったが、時間の都合でそれが適わなかったのが、なんとも残念である。

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September 29, 2005

レイクサイド マーダーケース (2005)

lake1原作は、東野圭吾の「レイクサイド」。それを映画化にあたって、「レイクサイド マーダーケース」とした製作サイドのセンスをまず称えたい。ミステリのタイトルでは定番ともいうべき殺人事件(マーダーケース)という響きには、安直さと裏腹の不思議な効果がある。それを付けただけで、謎解きや犯人探しの興味がぐっと前面に出てきた感じがする。ま、マニアックなミステリ・ファンのおたくな妄想やもしれないが。
主人公のカメラマン並木俊介(役所公司)が、仕事明けの朝に駆けつけた先は、湖畔のバンガローだった。そこでは、名門中学受験を目前に控えた子どもたちとその家族が集まり、塾の講師を招いて合宿を行っていた。集まった家族は3組。すでに妻の美菜子(薬師丸ひろ子)とは離婚している俊介だが、娘の舞華の受験のためにふたりで参加していた。講師の津久見(豊川悦司)は、子どもたちに勉強を教える一方で、両親たちには親子面接の手ほどきをしていた。
ところが、その夜、雑誌編集者の英里子(眞野裕子)が、バンガローに現れる。彼女は、俊介の浮気相手だった。彼女が現れた理由が分からないまま、表面を取り繕う俊介。夕食の食卓をともにし、ホテルへ引き上げた彼女を俊介は追うが、英里子とは会えなかった。そんな彼をバンガローで待ち受けていたのは、深刻な顔をした両親たちだった。そして、彼らの傍らには英里子の死体。俊介の恋人が現れたことに逆上した美菜子が、花瓶で撲殺したのだという。スキャンダルを隠蔽するために、死体処理への協力を迫られた俊介は、藤間(柄本明)関谷(鶴見辰吾)とともに、死体を車で運び、顔を潰した上で重しをつけて湖に沈める。
ミステリ映画としてはよく出来ている。東野圭吾の原作は、「秘密」や「白夜行」など、代表作といわれる作品に較べると知名度は低いかもしれないが、伏線の張り方から意外な犯人までがなかなか気が利いていて、本格ミステリとしてのクオリティは非常に高い。この映画は、原作のそんな長所を見事に引き継いでいると思う。
主演の薬師丸ひろこは、あきらかにかつての「Wの悲劇」を引き継いだ役柄の造形となっているが、往年の輝きこそないものの、堅実な演技で難しい役をこなしている。役所公司もいまさらでもない好演だが、物語に膨らみを与えているのは、豊川悦司、柄本明、杉田かおる、鶴見辰吾、黒田福美といった脇役陣だろう。彼らの癖のある存在感で、推理劇としての面白味はかなり高まったといっていい。
お受験という社会派のテーマへも接近するが、基本的には本格ミステリとしての謎解きがなんといってもセールスポイントで、映画化にあたって原作者の東野が「そう料理してもいいが、犯人だけは変えないでくれ」と言ったとか、言わなかったとか。もちろん、犯人は原作どおりである。
だだし、原作は種明かしが終わったあとも、余韻を醸すことに成功していたが、映画ではそれに失敗している。いくらなんでも、あの幕切れでは、きちんと着地が出来ているとは言い難い。B級のホラー映画じゃあるまいし、もう少し気の利いたエンディングがほしかったところである。[★★★]

(以下ネタバレ)
犯人は、子どもたちの誰か(または全員?)だった。裏口入学の不正をめぐって取材をしていた英里子が津久見に問い正しているのを耳にした子どもたちのひとり(または全員)が、彼女を湖畔の砂地で撲殺したのだった。それを津久見が発見し、俊介と美菜子の夫婦関係を利用し、美菜子が殺したことにして、事件を隠蔽しようとした。自分の子どもが3分の1の確立で犯人であること、さらにはこのスキャンダルがもとで受験に失敗することを恐れた俊介以外の親たちは死体処理の協力したのだった。その事実を知らされた俊介も、また事件の真相を胸の奥に封印する決心をする。

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September 25, 2005

いのうえ歌舞伎「吉原御免状」●SHINKANSEN☆PRODUCE (青山劇場,05.09.08)

yoshiwara思えば遠くへ来たものだ。いやなに、劇団新感線のことである。手もとの記録をひっくり返すと、わたしが初めて彼らの芝居を観たのは、1988年10月新宿シアター・トップスである。チケットの控えには、〝東京公演第2弾〟とあり、演目は「宇宙防衛軍ヒデマロ3」と書かれている。古田新太はすでに主役として堂々たる芝居をしていたけど、羽野アキなんて、まだ開演前には客席でコロッケ売ってたもんなぁ。まだまだ商業演劇よりは、学芸会との距離の方が近い感じで、とにかくバイタリティと笑いで押し切る若さが売りの劇団だった。
それから17年目が過ぎ、ここ1年の間に東京で新感線の芝居がかかった小屋は、日生劇場1回、帝国劇場が1回、そして青山劇場が2回。いやはや、すごい出世ぶりである。もちろん、その時間の隔たりからは、さまざまな成長がうかがえるわけだが、彼らのルーツであり、最大の売りでもある大衆演劇の醍醐味と、こてこての笑いのセンスが失われていないのは、すごいことだと思う。
さて、昨年の末から今年にかけての新感線は浮き沈みがあって、春に「SHIROH」というとてつもない傑作を放つ一方、続く「荒神(ARAJIN)」ではジャニーズに魂を売ったかと悪口が囁かれた。今回の「吉原御免状」は、堤真一を主演に招くということもあって、当然ファンの間での期待値は高い。ただひとつの不安材料は、劇団初の原作もの(故隆慶一郎の同名の小説が原作)であるということだろうか。
賑やかな江戸の花街吉原。そこに、西からひとりの若武者が訪ねてくる。彼の名は松永誠一郎(堤真一)。彼は、父親の遺言にしたがい、この吉原にやってきた。純真な心の持ち主であるが、剣にかけては神がかりの腕前。街の主である幻斎(藤村俊二)の後ろ盾もあって、吉原は町をあげて成一郎を歓迎し、人気を二分する花魁の勝山(松雪泰子)と高尾(京野ことみ)にも気に入られる。ところが、そんな誠一郎の命を狙う集団があった。柳生義仙(古田新太)率いる裏柳生の一群であった。彼らは、なぜ誠一郎の命を狙うのか?そしてまた、誠一郎と吉原を結びつける世間に知られざる秘密とは?
不勉強なことに原作には目を通していないのだが、想像するに伝奇小説的な色合いが強いようで、そういう意味では破天荒やサプライズを大胆に使う新感線の芝居にはマッチするという計算が最初にあったのではないか。なるほど、ある剣豪と結びつく誠一郎の出生の秘密や、吉原誕生の秘話、そして影武者徳川家康のエピソードまで飛び出す盛りだくさんの伝奇的要素は、いかにもいのうえ歌舞伎向けの題材だといえる。
それでいて、どこか盛り上がりを欠く印象があるのは、内容の割には上演時間が短いこと(いや、正味3時間はそれ自体十分に長いのだが)と、やはり隆の原作がどこか中島かずきといのうえひでのりの演出に微妙なズレがあるからかもしれない。隆の原作と、新感線の芝居は、似て異なるもの、ということなのだろうか。
役者でいえば、古田新太が悪玉として久々に豪快で切れのいい動きを見せてくれるが、堤真一にそれを上回る善のパワーがいまいち感じられないのが物足りない。松雪、京野という女優陣が、華となってかなり主役を盛り立てようとしてはいるのだが。
さらにキャステイングについては、藤村俊二の幻斎役にもやや疑問がある。存在感に独特の味があることは十分に認めるのだが、あの役は重すぎる。その傍らでは、新感線の役者たちが軽い役を見事に演じているだけに、それが目立ってしまう。肝心の場面で幻際の存在感が希薄になるのは、大きな疵だと思う。
といった具合に、期待値に比しては、厳しい評価にならざるをえないのだが、それなりに楽しめる新感線の舞台であることは、言うまでもない。ま、木戸銭が10000円を越えるのだから、客としてそれくらいの文句は言って当然だろう。個人的に印象に残ったのは、吉原の町の広がりを回転舞台で上手く見せたところだ。舞台中央にしつらえたスロープ(そこを堤が駆け降りたりする)の使い方も良かった。
なかなか小さな劇場では採算のとれにくい劇団になってきているとは思うが、このあたりでコアな新感線の芝居を観てみたい気がする。それも、劇団のオールスターキャストで。そう思うのは、わたしだけだろうか。

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